こいしひろい −新たなる旅立ち−



 有紀の実家は横浜から相鉄線で20分ばかり郊外に出た静かな住宅街にあった。
 僕の手には有紀がオーストラリアを出るときに書いて渡してくれた実家の住所の書かれた紙が握られていて、僕は黄ばんでくしゃくしゃになった紙に書いてある住所に、今でも有紀の家族が住み続けていることを祈りながら捜し歩いたのだけれど、見つけ出した家にちゃんと白浜という表札が掲げられているのを見たときにはほっとした。
 だけど僕は家の前まで来てしばらくの間立ち尽くしてしまったのだった。
 それまで何度ここに来ることを思っただろう。何度有紀の実家を想像しただろう。だけど有紀の住んでいた家をいざ目前にしていまうと、今立ちすくしている場所から足を踏み出せない自分がいたのだった。

 この家の扉を開けてしまえば間違いなく有紀の家族がいて、そして有紀が死んでしまったんだという事実を突きつけられるに違いなかった。僕はその現実を受け入れることが怖かった。受け入れることにたじろいでいた。それまで有紀の実家を訪ねることを何度となく想像して、いつも僕はこれから先に進むことを拒否し続けてきた。
 だけど目のまえにある現実から、もうこれ以上逃げることはしたくなかった。
 僕は大きく深呼吸して玄関のチャイムを押した。
 そして、しばらくして応答があった。
 「はい。どちらさまですか。」
 どこかで聞いたことがあるような何かほっとするくらい心地よさを覚える女性の声だった。僕はそれが有紀の母親なんだろうなと思った。

 「あの・・・。すみません。」
 「はい。・・・どなたですか。」
 僕はどう答えればいいのか、何を言えばいいのかわからなかった。頭の中が真っ白になっていた。
 ただ立ち尽くしていたら、しばらくしてドアの向こうに足音が近づき扉が静かに開いた。
 「どちらさまですか。何か御用ですか。」
 有紀はたぶんこのお母さん似だったんだろうな、と思わせるくらい有紀に感じが良く似た人がそこにいた。
 僕は深々と頭を下げた。
 
 「突然おじゃまして申し訳ありません。有紀さんの友達で安田省吾といいます。よろしければ有紀さんの・・・。いや、よろしければ有紀さんにお会いしたいのですが。」
 僕はそういって顔をあげた。
 有紀の母親は突然訪ねてきて有紀に会いたい、といいだした僕を不思議そうに見ていたが、
 「有紀のお友達で、安田さんといわれるのですか。安田省吾さん・・・。」
 僕のことをじっとみつめる真っ直ぐな眼差しがあった。
 「もしかして、省吾さんって、有紀がいっていたあのショウさん・・・。なんですか。」
 「ハイ。」僕は小さく頷いた。



 有紀が死んで9年近くが経とうとしていた。
 有紀を取り巻いてきた沢山の人達から、有紀に対する思い入れがやっと薄れ掛けてきた頃訪ねてきた僕を、きっとこの人は不思議がっているんだろうなと思いながら、僕は有紀の母親の後について家にはいった。
 有紀の母親は僕を居間まで通すと僕をソファーに座らせ、しばらくの間じっと僕の顔を見ていたが、思い立ったようにお茶がいいかコヒーがいいか僕に聞いて台所に立った。
 僕は何をどう話せばいいのかわからないまま、ただ黙って座っているしかなかった。僕と有紀の間にあったことは、たぶん有紀の母親はなにも知らないはずだし、たとい有紀からなにか少しでも僕のことを聞いていたとしても、それはただ単に海外を放浪中の友達がいるくらいのものだろうと思った。
 だけど台所に立つ有紀の母親を見ていたら、その背中が小刻みに震えているのに気づいた。
 有紀の母親は声を押し殺して泣いていた。
 
 「お母さん、すみません。僕が訪ねてきたことで何か辛い気持ちにさせてしまったようでしたら、こんなに遅く来たことを許してください。」
 「いえ、そんなことはないの。ごめんなさい、気にしないでください。」有紀の母親は小さく頭を振って涙をぬぐった。
 「ただ、あなたのことは有紀からよく聞かされていたの。婚約を破棄して、入院して、そのあとからずっとあなたのことばかり・・・。私ができないことを一人で頑張ってしてるってね。あなたのことになるとそりゃあ楽しそうに話してくれていたわ。」
 コーヒーを運んできた彼女は僕にそれを勧めると向かいのソファーに腰を下ろし、しばらくの間空ろな表情をしていたけれど、急に何かを思い出したのかすこし微笑んで話し出した。
 「ショウさん、私たちはあなたのことをまるっきり知りませんでした。だから、有紀が死んでしばらくしてやっと落着いたとき、お父さんと話していてあなたのことが話しにでましてね。でも何をどうしたものか、伝えるにしても何もわからないし、だけど伝えなければ有紀が悲しむ気がして・・・。私達はずいぶん悩みました。だけど結局なにもできなくて・・・。」そういって目頭をおさえた。

 何から話せばいいのか。話さなければならないことが沢山あった。有紀のためというよりも、今はすぐ目の前で涙を流してそういってくれたこの人のためにも話さなければいけないと思うのだが、僕はまだ自分の気持ちを確り整理できないままでいた。
 「僕は彼女の死を知っていました。もちろん事故のことも。ですが、どうしても信じられなくて。僕はあのときアメリカにいて、これはまったく違う世界で起きた夢なんだって、自分の中でずっとそういい聞かせていました。自分を納得させて、受け入れて、その上で帰国することがどうしてもできなくて・・・。本当にすみませんでした。」
 僕はそういって深々と頭を下げるしかなかった。
 「よかったら、彼女に会わせてもらえますか。」
 「ええ、もちろんよ。ごめんなさいね、あなたが急に訪ねてくれたものだからすっかり取り乱してしまって。」有紀の母親はそういって涙を拭うと、奥の部屋に続くドアを開けて僕を通してくれた。

 「我が家は皆クリスチャンなんですよ。だから仏壇はないの。有紀はあそこにいます。」
 そういわれた先にこじんまりとした祭壇があり、有紀の写真が置いてあった。
 僕はその写真の中の有紀と目が合ったとたん周りが何も見えなくなった。そして写真の中の有紀の視線に吸い込まれるように近づいていった。
 あのとき、ファインダーの中から僕が見ていた有紀がそのままそこにいた。オープン・デッキに座り、白いスーツを着て、タイムズ・スクウェアーをバックにして幸せそうに笑っている有紀。紛れも無く僕を見ていた有紀がいた。
 僕の体の中から堰を切ったように涙が溢れ出してきた。もう止める必要もなかった。もういいんだと思った。
 僕は写真を手に取り、おもいっきり抱しめた。
 まさかこんな形で、あのとき僕の目の前で笑っていた有紀に会うなんて・・・。






 有紀がニューヨークをたつ日の朝、僕達はセントラル・パークにほど近い、ブロードウェイと52番通りのかどにあるオープン・カフェに朝食をとりにいった。
 その日有紀はそれまでとは違って真っ白いスーツに身を固めていた。「もうバケーションは終わり。今日から仕事ですからね。ビシッとしめていかないと。」そういった有紀が僕は眩しく感じられた。
 「ニューヨーカーの朝食はベーコン・エッグにトーストかァ。こんなすてきなとこでこんな感じで出勤前に朝食なんて何年ぶりかなァ。凄く新鮮な気分だね。だけどいまからロスまで飛行機で飛んでも向こうはまだ朝でしょ。広い国って何か面白いわね。」
 ニューヨーク滞在中ずっとこんな感じで一人でぶつくさいいながらも満ち足りた顔をしている有紀を、僕はただ黙って見つめていた。
 「そうだ、ショウさん写真撮ってもらえる。こんなすてきなカフェに座る美女の姿は絵になるでしょ。」そういって有紀はバックからカメラを取り出して差し出した。
 「いいとも。これから戦場に向かう凄腕のキャリア・ウーマンの顔に戻る前に、是非その顔は残すべきだね。」
 「なにいってるの、凄腕だけよけいです。ベーだ。」

 僕はそうして有紀から渡されたカメラを覗き込んだ。
 この3日間私服で過ごしてきた有紀とはまったく違う女性がファインダーの中にいて、僕の方を微笑みながらじっと見つめていた。
 有紀を見ながらふと僕は、この人はいつから僕の前にいるのだろうと思ってしまった。つい先ほどからそこに座っているような気もするし、もう随分昔からずっと僕の前にいるような気もした。それほど僕の方を見つめる有紀の眼差しは幸せそうで、安らぎに満ちていて、優しいもので、僕を惹きつけるものだった。
 「いいか有紀。撮るぞ。」
 「ちょっと待って。フフフ・・・。やっと有紀って呼んでくれたんだ。もう一度呼んでみて・・・。」
 「バカ。いいか。」
 僕はファインダーの中の有紀を見ながら、やっと心がひとつになったという実感を得ていた。有紀もそれは同じだったうようで一段と顔が輝いたように思えた。






 はじめて訪ねてきた男が、有紀の写真を胸に抱いて号泣したことに、有紀の母親は少なからず驚いたようだった。
 だけど僕と有紀の関係をある程度知っていたせいだろうか、彼女は僕の側にきて背中に優しく手をかけながら、何度も「もう泣かないで。もうなかないで。」と声をかけてくれたのだった。
 僕にはその声が生前の有紀の声に似ているようでなお更悲しかった。
 しばらくの間僕は有紀の声を背中に聞きながら涙を止めることができなかった。
 そしてやっと気持ちが落着いたとき、僕はその写真を撮った日の朝のことを話した。
 「そうだったんですか。ニューヨークで有紀は幸せだったんですね・・・。」有紀の母親はそういって祭壇の写真を振り返った。

 「実は有紀が死んでどんな写真を祭壇におこうかと思って、いろんな写真を引っ張り出してはみたんですが、なかなかいいものが見つからなくて。そんなときに有紀が最後にアメリカに行ったときに持っていったカメラがあることに気づいて。現像したらこの写真があったんですよ。こんなに幸せで満ち足りた顔をした有紀の写真は他にはなかったの。お父さんとこれが一番いいね、っていってね。ただ、私はこんなに有紀が幸せな表情をして見つめている視線の先に、いったい誰がいるんだろうって凄く気になっていたの。たぶんショウさんっていう人だろうなって思ってはいましたが、やはりあなただったんですね。」
 有紀がニューヨークにいる間、僕がどうしても仕事で抜けられないときはマイクとパトリックが有紀の面倒をみてくれた。セントラル・パークで写したもの、エンパイアーステート・ビルの展望デッキで写したもの、地下鉄の構内でのものと、僕がしらないものが沢山あったけど、そのどれよりも僕が写した有紀は幸せそうに見えた。あの頃の僕はそんなことなんて気にも掛けないでいたけれど、いまになって有紀の気持ちをはっきり感じていた。
 「だけど、ショウさん。いまさらこんなこと聞くのはどうかと思うけど、どうしてもっと早く来て貰えなかったのかしら・・・。」






 あの年の8月に起きた飛行機事故のことは、事故の数時間後からアメリカのテレビでも繰り返し報道されていたので、事故の翌日には僕の耳にも入っていた。
 ただその事故が直接自分に関係しているなんて思いもしなかったから、僕には日本で随分ひどい事故が起こってしまった程度の認識しかなかった。
 ところがそれから一週間ほどして、昼食をロックフェラー・センター近くの日本食レストランにとりにいった日、僕はいつものようにサービスで置いてある日本の新聞を手に取り読みあさっていた。海外で長く暮らす人間はどうしても日本語の活字に飢えてしまうせいか、どんな種類の単行本だろうと、あるいは2、3日遅れの新聞だろうと、普通日本で暮らしていれば興味も示さないようなことにでも、活字に飢えた状況下では目を通すようになってしまうもので、その日の僕はいつものようにその新聞の第1面から細かく目を通していた。
 その新聞にもその事故のことが、事故後3、4日経って現場の状況がじょじょにわかりだした経緯とともに大きく報じられていた。飛行機事故に限らずどんな事故にしてもそうだが、事故に遭う不運なめぐり合わせってあるんだろうなと思いながら、僕は2面から掲載されていた搭乗者リストに目をはしらせた。数人の人が運良く助かったようだけど、そこにはその何十倍もの不運な人達の名前が並べてあった。
 そして僕は紙面中ほどに書かれていた一人の女性の名前のところで目を止めた。
 -神奈川県横浜市旭区・・・、白浜有紀(26)-。

 活字と現実とがすぐには結びつかなかった。急に突きつけられた衝撃を僕はすぐに理解することもできなかった。
 ただ1秒1秒不安という圧迫感が大きくなっていくのはわかった。
 僕は何度も有紀の実家の住所を思い出して新聞のそれと見比べた。何度も有紀の名前を頭の中で活字にして新聞のそれと見比べた。
 そのうちに僕の中でなにかが切れてしまったかのように、僕はなにもわからなくなってしまっていた。
 僕は食事もせずにその店を出たことは覚えている。店員が何かいった気がしたけれど、その先の記憶はない。
 気がついたら僕はセントラル・パークのクワイエット・ゾーンの芝生の上にいた。
 心地よい風が吹いてきて、少しずつ僕の体をなでていき、それが僕を少しずつ冷静さを取り戻す方にいざなってくれた。
 それとともに涙が後からあとから湧き出てきた。


 

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